【渋谷区立松濤美術館】『舟越 桂 私の中にある泉』展

人間を問いながら、人間の姿を表す、人間という存在について観る者に問いかける

新型コロナウイルス感染症により美術館・博物館・ギャラリーなどに気軽に足を運べなくなってしまいました。

そんな状況下に負けじと感染症対策をきちんと行いながら、運営に努める施設関係者への思いに応えられるように、一人でも多くの方が美術館を訪れるきっかけになることを考え、美術館・博物館・ギャラリーの様子を伝える【ミュージアム・レポート】をスタートすることとなりました。

そのような経緯から、今回は渋谷区立松濤美術館にて開催中の『舟越 桂 私の中にある泉』展をご紹介します。

地下一階展示室

現在、渋谷区立松濤美術館では『舟越 桂 私の中にある泉』展を開催しています。

現代日本を代表する彫刻家・舟越桂は、東京造形大学と東京藝術大学大学院の彫刻科で学び、20代のはじめに函館・トラピスト修道院の聖母子像の制作依頼を受けたことをきっかけに、本格的に木彫での人物像の制作を開始しました。

1980年代にはじまる楠の木彫彩色の人物像は、1990年代前後から異形化が試みられ、2000年代からさらに新たな表現領域が切り拓かれていきます。

舟越は、一貫して人間の姿を表すことにこだわり、「自分の中の水の底に潜ってみるしかない」 と、創造にあたってまず自分自身と向き合う姿勢を取り続けてきました。

その背後には「個人を特定して語っていくことが、普遍的に人間について語ることになる」という考えがあり、創作の源となる自身の内面に、ひそかに外につながる水脈を保つ地底湖のように、社会的・個人的な事象を受けとめています。

作品から作家自身の内なる源泉の姿を探りながら、本展各章の説明と見どころをご紹介します。

舟越桂《海にとどく手》2016 作家蔵

2階展示室

第1章「私はあゆむ、私はつくりだす」では、最初期の作品が展示されており、それらをよく見てみると目の中まで木で作られています。

舟越は、やがて父の仕事場で見つけた大理石の欠片を用いて、仏像の玉眼嵌入の技法をアレンジして瞳をはめ込むようなったのだそう。そんな彼によって生み出された瞳は、多方向から鑑賞してみても視線が合わず、まるで悟りを開いた仏と向き合っているかのような感覚になります。

その他、1980年代に手がけられた木彫像は、さりげない日常の衣装をまとい、現代を生きる等身大の人物のようでありながらも、どこか抽象的で静謐な雰囲気を漂わせています。

第2章「私は存在する」では、1980年代から2000年代の作品が展示されています。実在のモデルをもとに制作していたのに対し、1990年代前後からは体の一部が変形する「異形」と呼ばれる人物像が現れてきます。

展示作品《山を包む私》は、東京造形大学在学中に車窓から校舎の裏山を見て、「あの山は俺の中に入る」と感じた体験がもととなっています。人間という存在の大きさと不思議さを象徴するイメージが、体験から20年以上を経て作品として生み出されました。

舟越桂《妻の肖像》1979-80年 作家蔵

舟越桂《マスク》1982年 作家蔵

第3章「私の中に私はみつける」では、1990年代から2000年代の代表作品を展示。1990年前後に試みられた体の一部が変形する「異形」は、2000年代に入ってより本格化し、背後や肩から伸ばされた手や、青や緑に彩色された肌など、現実の人体にはありえない形態や表現が、より自由に展開されていくようになりました。

メインビジュアルにも使用されている《水に映る月蝕》は、約20年ぶりに制作された裸婦像です。肩はほとんどなく、背中から出た手に、膨らんだ腹部。舟越自身が「この形は空中に浮こうとする形に見える」と思ったという本作は、大地、そして現実から離れ、解き放たれることを表現し、結果「祈り」というものに似ているのではないか、との考えに至っています。

第4章「私は思う」では作品制作のアトリエが再現されるほか、ドローイングやメモなどが展示されています。

自ら「メモ魔なんです」と語る舟越は、作品制作の途中で考えたことや、感銘を受けた言葉などを、ノートの切れ端などに書き留め、これらの思考や記憶の痕跡を大切に保管し、アトリエの壁面に貼っているのだそう。また、アトリエにはテレビがおかれ、そこでは報道やドキュメンタリーを通じて、人間の英知や文化だけでなく、世界各国で起きている負の所業やカタストロフィを映し出されているテレビでは、世界と作家をつなぐ水脈のような役目を果たしています。

舟越桂 《水に映る月蝕》 2003 作家蔵

展示風景 2階展示室

第5章「私の中をながれるもの」では、舟越家各人のドローイングと絵画作品が展示されています。

舟越は彫刻家の父・保武と俳人であった母・道子のもと、7人兄弟の次男としての生まれました。

作品からは彼らの中に共通する確かな「ながれるもの」を感じられると同時に、アーティストとしてそれぞれ異なる表現を求める姿勢が伺えます。舟越の「新しいものは自分の中に見つけよう」という言葉は、個性豊かな表現者を家族に持つ身だからこそ、自己を峻別しようという決意があるのかもしれません。

第6章「私ははぐくむ」では、舟越が自身の妻や子ども、甥たちのために自作したおもちゃが展示されています。

舟越は日常生活を送る中で目にした物事や、たまたま手にした素材から発想を得て、贈る相手である家族を想いながらおもちゃを制作してきました。鑑賞者は作家の家族に対する暖かな視線を共有することができると同時に、彫刻家としての作品制作とは異なる舟越の一面に触れることができるでしょう。

舟越桂《あの頃のボールをうら返した》2019年 作家蔵

舟越桂 《水に映る月蝕》のデッサン(作家蔵)と展示風景

1980年代から今日にかけての代表的な彫刻作品にくわえ、ドローイング、版画、何かを思うたびに書き留めたメモ、家族へのギフトとして制作したおもちゃなどから、作品が生み出された内なる源泉に触れられられる本展。

会場を巡りながら舟越の作品を鑑賞し、観る者に問いかける人間という存在について、その向こう側にある自分自身について、改めて考えてみてはいかがでしょうか。

取材・執筆・撮影:新 麻記子

『舟越 桂 私の中にある泉』展
会期:2020年12月5日(土)~ 2021年1月31日(日)
休館日:月曜日(ただし1/11は開館)、1/12(火)
開館時間:10:00~18:00(最終入館閉館30分前まで)
会場:渋谷区立松濤美術館
HP:https://shoto-museum.jp/
主催:渋谷区立松濤美術館
特別協力:西村画廊

ライタープロフィール:新 麻記子(しんまきこ)

アート専門WEB媒体の運営・編集・ライターを経て、フリーランスに転身。
現在、アート・エンタメメディア『La vie pianissimo』と日本酒メディア&コミュニティ『酒小町』にて編集者をつとめ、その他寄稿WEB媒体ではアート・カルチャー系を中心にライターとして執筆活動中。
アート・カルチャーの架け橋になりたいというの想いからClassyAcademy代表の石井江奈と対話型鑑賞会【Classyアート鑑賞会】の企画・運営をおこなうナビゲーターのほか、ギャラリー&ダイニングバー『ワインワークス南青山』や他ギャラリーにてブッキングやイベントを企画するアートディレクターや、作品展示のPVやアーティストのMVを手掛ける映像ディレクターとしても活動しています。

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