小早川秋聲が灯す平和への祈り 彼の足跡を辿ってみよう!
まだまだ新型コロナウイルス感染症により、美術館、博物館、ギャラリーなどの文化施設に、気軽に訪れられない日々が続いています。
しかし、そんな状況下に負けじとオンラインチケットで密を防ぎ、検温や消毒など徹底した感染症対策を行いながら、運営に努める施設関係者の思いに応えられるように、一人でも多くの方が美術館を訪れるきっかけとなるべく、展覧会の模様を伝える【ミュージアム・レポート】をスタートしました。
そのような経緯から、東京駅丸の内駅舎で活動をつづけ、露わにしたレンガ壁の展示室がユニークな、東京ステーションギャラリーにて開催している『小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌』展をご紹介します。
1988年、駅を単なる通過点ではなく、文化の場の提供を目指し、東京駅丸の内駅舎内に誕生した東京ステーションギャラリー。
今では重要文化財に登録されており、その歴史を体現する煉瓦壁の展示壁はもちろん、国内外を問わず、近代美術を中心に、幅広いテーマで展覧会が企画されています。
そんなユニークな美術館として親しまれている東京ステーションギャラリーにて開催中の『小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌』展では、初期の歴史画、中期の戦争画、晩年の仏画まで、104点の作品から清新で叙情的な小早川の画業を幅広く展示しています。
小早川秋聲は、大正から昭和にかけて京都を中心に活躍した日本画家です。
小早川は鳥取の寺の住職の長男として生まれ、9歳で京都の東本願寺の衆徒として僧籍に入りました。その後、画家になることを志し、日本画家の谷口香嶠や山元春挙に師事。文展や帝展を中心に出品と入選を重ねて画技を磨いていきました。
また、旅を好み、北海道、山陰、紀州など日本各地を絵に描き、国外では複数回の中国渡航に加え、1922年から23年にかけてアジア、インド、エジプトを経て、ヨーロッパ十数ヶ国へ遊学。1926年には北米大陸を横断し、日本美術の紹介にも尽力しました。
やがて、戦地に行って士気を高めるための絵を描き、その戦争の場面を記録する従軍画家として、何度も戦地に赴くようになり、戦争の痛ましさを感じさせる数多くの作品を描きました。戦後は、まるで自身の出生に回帰する如く、仏画や仙人などの作品を遺しています。
会場では、戦争画だけではない魅力に溢れた小早川の足跡を辿るような展示構成になっています。
例えば、国外に対して好奇心を強くした小早川は、30代頃から世界各国を飛び回るようになりました。
秘境の地の先住民族と交流したり、武装集団に囚われ勧誘されたり、また冬のアルプス山脈を登山して遭難しかけるなど、その面白いエピソードは画家というよりも冒険家そのもの。
しかし、その旅を通して様々なテーマを得て展開されていった自由な作品は、それぞれの土地特有の香が漂いながらも、味わい深い豊かさが感じられることでしょう。
そして、忘れてはならないのが…本展の見どころでもある戦争画。従軍画家として戦争を直に見つめ続けた小早川は、兵士たちと同じく満州の極寒に耐えながら、四日四晩一睡もできないような生活のなかで、目の前の光景を描き漏らさないようにペンを走らせたそうです。
彼が描いたものの中には、極寒の戦地で焚火にあたりひと時の暖を取る様子や、疲れ果てた兵士が無防備に寝入る姿など、生死の境にある彼らから垣間見える人間らしい瞬間に惹かれた作品がご覧になれます。
その中でも、小早川の代表作として挙げられる《國之盾》(1994年) は、陸軍が受け取りを拒否されたというエピソードがあります。当初、兵士の頭の周りには光が描かれており、背後には桜の花びらが描かれていたそうです。しかし、終戦後、23年目で本作品が公開された時には、背景の桜の花びらを黒く塗りつぶされていました。
この作品を鑑賞して『反戦』が描かれているという方もいれば、戦死した将校を敬う気持ちが捉えられるという方もいる、いろんな解釈のできる作品だと思います。
激動の時代に多くの人々と時間をすごし、そして同時に多くの人々の死と向き合った小早川。彼の足跡は私たちにいろんなものを感じさせ、様々な気づきを与えてくれることでしょう。
ぜひ、作品から清新で叙情的な小早川の画業を幅広く展示し、余すことなく魅力を紹介している本展覧会に足を運んでみてくださいね。
取材・撮影・文:新麻記子
【情報】
『小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌』展
会期:2021年10月9日(土)〜2021年11月28日(日)
会場:東京ステーションギャラリー
時間:10:00〜18:00 (最終入場時間 17:30)
※金曜日は20:00まで(最終入場時間 19:30)
休館:月曜日
※ただし、11月22日(月)開館
HP:https://www.ejrcf.or.jp/gallery/index.asp