【千葉市美術館】『サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展』

アイティーエル株式会社では、一人でも多くの方が美術館や博物館を訪れるきっかけとなるべく、2020年7月より【ミュージアム・レポート】を開始いたしました。

困難な状況下においても美術館・博物館ではさまざまな企画や対策をおこなっていることから、全てのアートシーンに対してこれからも変わらず応援していくべく、アイティーエルも継続して情報を発信していきたいと思います。

今回は、千葉市美術館にて開催中の『サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展』をご紹介します。

本展覧会について

展示風景

本展では、ボストン美術館、大英博物館からの里帰り品を含め、錦絵および肉筆画の名品を国内外から集め、初期の様相から晩年に至るまで、鳥文斎栄之の画業を総覧し、その魅力をご紹介しています。

栄之は重要な浮世絵師の一人でありながら、明治時代には多くの作品が海外に流出したため、国内で彼の全貌を知ることはとても難しく、展覧会を開催するほどの作品を集めるのが大変困難でした。

しかし、今回156点(前期・後期と展示替えあり)が集結する、大変貴重な機会となってます。

鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)とは?

鳥文斎栄之が使っていた画道具

鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし 1756−1829)は、旗本出身という異色の出自をもち、美人画のみならず幅広い画題で人気を得た浮世絵師です。浮世絵の黄金期とも称される天明〜寛政期(1781-1801)に、同時代の喜多川歌麿(?−1806)と拮抗して活躍しました。

当初栄之は、将軍徳川家治(1737-86)の御小納戸役として「絵具方」という役目を務め、御用絵師狩野栄川院典信(1730-90)に絵を学びましたが、天明6年(1786)に家治が逝去、田沼意次(1719-88)が老中を辞した時代の変わり目の頃、本格的に浮世絵師として活躍するようになり、やがて武士の身分を離れます。

展示風景

当時錦絵(浮世絵版画)は、一層華やかな展開期にありましたが、栄之もまた浮世絵師として数多くの錦絵を制作、長身で楚々とした独自の美人画様式を確立、豪華な続絵を多く手がけたことは注目されます。さらに寛政10年(1798)頃からは、肉筆画を専らとし、その確かな画技により精力的に活躍しました。

寛政12年(1800)頃には、後桜町上皇の御文庫に隅田川の図を描いた作品が納められたというエピソードも伝わっており、栄之自身の家柄ゆえか、特に上流階級や知識人などからも愛され、名声を得ていたことが知られています。

本展覧会ポイント

将軍の絵具方から浮世絵師へ

鳥文斎栄之 《関ヶ原合戦図絵巻》奈良県立美術館所蔵

10代将軍徳川家治(1737-86)は、絵を描くことを好んでいたと伝えられています。

将軍のために絵具を用意する「絵具方」という役目であった栄之は、御用絵師狩野栄川院典信(1730-90)に師事し、狩野派の絵師として経歴を続けることも可能だったはずです。天明6年(1786年)に家治が死去し、まもなく田沼が罷免という政変の最中、栄之は本格的に浮世絵師として筆を執るようになりました。

本展では、なぜ栄之は浮世絵師を志したのか、栄川院の作品をきっかけとして、サムライから浮世絵師へと、その謎に満ちたデビューの姿をイメージします。

隅田川の絵師誕生

鳥文斎栄之 《貴婦人の船遊び》1792-93年頃 ボストン美術館

御用絵師狩野派とは180度異なる、多色摺木版画の世界において、栄之はどのように錦絵生産の速い流れに乗ることができたのでしょうか。

この時代の名だたる浮世絵師たちは、デビュー当時は細判の役者絵という画面が小さく、販売期間も短く、安価な錦絵制作からスタートしています。その一方で栄之は、デビュー間も無く複数枚綴りで見応えのある大判の読絵を多く手がけており、いまだ大判の半分の中判が主流であった時代に、その10倍の大きな錦絵を新人の浮世絵師がけるというのは、大変異例なことでした。

そのなかでも、裕福そうな遊客を描いた隅田川での船遊びの様子を描いた読絵は、栄之という浮世絵師のシンボルとも言える代表作となりました。

喜多川歌麿と拮抗

鳥文斎栄之 《見立忠臣蔵七段目》 1792-93年頃 千葉市美術館

栄之の錦絵における活躍は、寛政期(1789-1801)の喜多川歌麿(?−1806)の全盛期とも重なります。

歌麿と同様、人気の美女3人の富本豊雛、難波屋おきた、高島屋おひさを描いた、優雅で華やかな美人画「寛政三美人」や吉原の遊女をテーマとした作品を多く出版します。

しかし、大首絵と呼ばれる上半身をクローズアップして描く歌麿の作風とは異なり、7〜8等身の立ち姿の遊女を描く独自の様式を確立し、後世の「青楼の画家」と呼ばれた歌麿に拮抗した存在となりました。

その状況は、栄之の主要版元であった西村屋与八と、歌麿を見出して育てた新興の版元である、蔦屋重三郎との販売競争の関係としても読み解くことができます。

色彩の雅ー紅嫌い

鳥文斎栄之 《風流やつし源氏 松陰》1792年頃 大英博物館

古典や謡曲などの題材を、当時の風俗で描き出し、置き換えの機智を楽しむ「やつし絵」が、多く知られるのは、栄之の錦絵の特徴のひとつです。

その多くが武家や公家の上流階級の姿に描かれ、品の良い画風に加えてしばしば用いられた「紅嫌い(※)」の手法により、雅な趣をもたらすこの色合いが、品格ある画風にふさわしいものにし、古典主題を一層華やかに見せてくれています。

※意識的に晴れやかな紅色をわざと避けた錦絵で、紫を多用することから紫絵とも呼ばれました。

美の極みー肉筆浮世絵

鳥文斎栄之 《和漢美人競艶図屏風》 1818-30年 個人蔵

老中・松平定信によって主導された「寛政の改革」により、幕府の出版統制が厳しくなった影響で、寛政10年(1789年)頃から、栄之は錦絵出版から離れて、肉筆画に集中するようになります。武家出身の栄之は歌麿のように逆らった態度をとることもできなかったでしょう。

若年期より磨かれた確かな画技は、香り立つような美しさが感じられ、華やかな肉筆の美人画を次々と生み出していきました。寛政12年(1800年)頃に後桜町上皇の御文庫に隅田川の図を描いた作品が納められたというエピソードも伝わっており、栄之の作品は特に上流階級や知識人などから愛されたことがわかります。

最後に

展示風景

庶民が憧れる特別な存在を描いたものだけでなく、知識人や上流階級の人々を唸らせるものなど、読み解きの必要な教養を感じさせる作品を多く残し、美しく清らかな作品を描いた美人絵師としてではなく、江戸の風景を巧みに表すことのできた絵師だからこそ、この時代に活躍できたのでしょう。

現在放送中のフジテレビドラマ『大奥』では将軍徳川家治(演・亀梨和也)の御小納戸役として「絵具方」という役目を務め(※劇中、出演しないと思います)、2025年放送予定の大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」では主人公・蔦屋重三郎(演・横浜流星)と、同じ時代を生きているかと思うと…ますます興味が出てくる鳥文斎栄之。

重要な浮世絵師のひとりでありながら、明治時代には多くの作品が海外に流出したため、今日国内で彼の全貌を知ることは難しくなっています。武士に生まれ、浮世絵に生きた、栄之の生涯と功績とともに、魅力あふれる作品がご覧になれる、本展覧会に足を運んでみてはいかがでしょうか。

撮影・取材・文:新麻記子

【情報】
サムライ、浮世絵師になる!鳥文斎栄之展
会期:2024年1月6日(土)~3月3日(日)
   前期:1月6日[土] – 2月4日[日] 
   後期:2月6日[火] – 3月3日[日]
会場:千葉市美術館
休室日:2月5日[月]、13日[火]
    ※第1月曜日は全館休館
ホームページ:https://www.ccma-net.jp/exhibitions/special/24-1-6-3-3/