
アイティーエル株式会社では、一人でも多くの方が美術館や博物館を訪れるきっかけとなるべく、2020年7月より【ミュージアム・レポート】を開始いたしました。
今回は、国立近代美術館で開催中の国内美術館では約20年ぶりとなる日本を代表する現代美術作家・杉本博司の大規模な個展「杉本博司 絶滅写真」展をご紹介します。
本展覧会について

「杉本博司 絶滅写真」展は、日本を代表する現代美術作家・杉本博司の国内では約20年ぶりとなる大規模な個展です。
初期の代表作〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉から最新作まで、約60点が一堂に会する本展覧会は、単なる回顧展ではなく、タイトルが示す「絶滅」とは、生物学的な意味ではなく、「銀塩写真」というメディアそのものの終焉を見据えた壮大な思索の場です。
会場を歩き終えたときに強く印象に残ったのは、「写真とは何か」という問い以上に、「人間はなぜイメージを残そうとするのか」という根源的な問いであり、杉本博司は50年近い活動の果てに、誕生から終焉までを辿りながら原点へと帰還しています。
時間を写す写真家、杉本博司

杉本博司の作品について語る際、まず押さえておきたいのは、彼が「物」を撮る写真家ではなく、「時間」を撮る写真家であるという点です。
1948年生まれの杉本は、1970年代にニューヨークへ渡り、独自の写真表現を確立し、大型カメラと銀塩プリントにこだわり続け、デジタル化が進む現代にあっても、暗室作業による手仕事を守りつづけています。
彼の作品に共通するテーマは、人類の記憶・歴史、時間の流れ、死と再生、光といった、芸術の未来をめぐる哲学的な旅をつづけています。
「写真の誕生から終焉まで」を辿る壮大な時間旅行
第一章「時間・光・記憶」

〈ジオラマ〉──死者を生き返らせる写真
最初の部屋に現れるのは自然史博物館の剥製展示を撮影している〈ジオラマ〉シリーズです。
一見すると本物の動物たちが生きているように見えますが、近づくとそれが人工的な模型であることに気づくことでしょう。つまり、「本物を模した模型を写真に撮る」という二重の虚構が成立しており、それにもかかわらず鑑賞者は写真を見ることで「生」を感じます。
杉本は、写真が持つ欺瞞と魔術性を見抜き、写真とは「現実の証明」なのではなく、「信じたいものを信じる装置」なのだと考えていました。
〈劇場〉──本の映画を一枚に圧縮する
映画館で上映開始から終了までシャッターを開き続けることで、数時間分の映像を一枚に凝縮させた代表作品〈劇場〉も圧巻です。
スクリーンは真っ白な光となり、客席だけが静かに浮かび上がります。ここで写されているのは映画ではなく、「映画を見ていた時間」そのものです。数千枚の映像が積み重なった結果、スクリーンは光の塊になって、時間の総和が白色になります。
写真は瞬間を切り取るものだと考えられてきましたが、杉本は「時間を圧縮して写真にする」という逆説的な方法を生み出しました。
〈海景〉──原始人と同じ風景を見る
会場中央で観客を静かに包み込むのが、水平線を境に空と海だけで構成された、極限まで単純化された風景〈海景〉シリーズです。《カリブ海、ジャマイカ》をはじめ、世界各地で撮影された海は、どれも驚くほど似ています。
杉本は「原始人が見ていた風景を、現代人も同じように見ることができるのか」と問いかけ、文明は変化しつづけ、国家も宗教もテクノロジーも生まれましたが、海と空は変わらないと語ります。 〈海景〉は単なる風景写真ではなく、人類史そのものを写した肖像画であり、このシリーズの前に立つと、時間の感覚が溶けて、鑑賞者自身が「歴史」の一部になっていく感覚を味わえることでしょう。
第二章「観念の形」

〈建築〉──ぼやけた理想郷
意図的にピントが外されている《サヴォア邸》《ワールド・トレード・センター》などの建築シリーズ。 本来なら失敗とうたわれますが、杉本は「建築家が頭の中で思い描いたビジョン」を表現するために、あえて像を曖昧にしたと答えており、輪郭を失った建築は、現実の建物というより理念そのものになっています。ル・コルビュジエの理想や20世紀モダニズムの夢が、霧の向こうに浮かび上がり、ここでは写真は記録装置ではなく、思想を可視化する装置になっています。
〈スタイアライズド・スカルプチャー〉
ディオールのドレスなどを彫刻として撮影した作品群である〈スタイアライズド・スカルプチャー〉。 「衣服とは人工の皮膚であり、人間の身体と一体化した彫刻である」と、ファッションを芸術史の文脈で捉え直す視点から、写真は単なるファッション写真を超え、「人間とは何か」という問いへ変貌していきます。
第三章「絶滅写真」

〈フォトジェニック・ドローイング〉──時間を超えたコラボレーション
19世紀の写真術の祖ウィリアム・タルボットのネガをもとに、新たなプリントを制作したシリーズです。
これは再現ではなく、1830年代の写真と現代の杉本が共同制作した作品で、まさに時間を超えたコラボレーション。まるで200年前の人間と対話しているかのようです。
〈肖像〉
ダイアナ元妃やヘンリー八世などの肖像が並んだ蝋人形館の人物を撮影した有名なシリーズ。
死者であるはずの人物たちが、生きているかのような存在感を放ちます。写真は死を保存する技術ですが、それと同時に死者を蘇らせる技術でもあります。《肖像》は写真というメディアの本質を最も端的に示すシリーズと言えます。
「絶滅」とは悲劇なのか?

展覧会タイトルから受ける印象とは裏腹に、本展覧会には悲壮感はなく、むしろ穏やかで静かです。
恐竜が滅びても鳥類が生まれたように、銀塩写真が終わってもイメージそのものは残る…絶滅とは単なる終わりではなく、変化であると気付かされました。
だから彼は写真術の始まりに遡り、終焉を受け入れながら、その全歴史を一つの円環として眺めています。そこは諦めではなく、達観のように捉えられることでしょう。
スマートフォンで無数の画像が消費される時代に、大型カメラと銀塩プリントに向き合い、杉本が見つめているのは「写真の死」ではなく、「技術が変わっても人間の眼差しは変わらない」「人類がイメージを残したいという欲望」という深い確信そのものだと感じました。
【情報】
「杉本博司 絶滅写真」展
会期:2026年6月16日(火)~9月13日(日)
会場:東京国立近代美術館 1階企画展ギャラリー
時間:10:00~17:00(金・土曜日は20:00まで)
休館:月曜日※7月20日は開館、7月21日は休館
ホームページ:https://art.nikkei.com/sugimot